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歴史は外因が内因に作用し激動へと導く!

日本の歴史で外因が激動を招いたことが3度ある。鎌倉時代大陸からの2度にわたる侵攻(外因)=元寇が、鎌倉武士たちに恩賞の無い戦いを強いたことで、鎌倉幕府の弱体化を招いた。

また、江戸時代後期のペリー艦隊の黒船来航が幕府をして鎖国から開港へと方針転換させた。江戸時代の鎖国は自給自足経済が続く限り国内は安定する。しかし、開国は自給自足経済を破壊し、食料不足から一揆が激発することになり、徳川幕府は倒れたのである。

3度目は、第2次世界大戦で日本が敗北し、アメリカ占領軍が日本を占領統治した。このとき、日本共産党が自立の民族的抵抗運動を展開すれば、政権をとるチヤンスがあった。ところが日本共産党は、誤ってアメリカ占領軍を「解放軍」と規定し、アメリカが押し付けた従属憲法を「平和憲法」と位置付けて、「憲法9条は日本の宝」とまで崇めた。ゆえに、日本では歴史は動かなかった。(=動かせなかった)日本は未だにアメリカの従属国なのである。

つまり外因が、その国の主要矛盾を激化させた時が、歴史が激動(=発展)する時なのである。ヨーロッパを例にとると、ナチスの侵攻(外因)が反ファシズム戦争となり、東ヨーロッパが社会主義陣営となった。つまり東ヨーロッパ諸国は国際戦争の形で社会主義革命(内戦)を果たしたことになる。

ウクライナは、オリンピック開催中のロシアのスキを突いて、アメリカの画策と資金援助で行われた極右クーデター(外因)が、NATO加盟表明の挑発となり、ロシアを激怒させ、侵攻へとつながった。このことがウクライナを廃墟とし、東ヨーロッパの情勢を戦争へと激変させつつある。

大陸国家である中国では、歴史の激変は多くが北方遊牧民の侵攻(外因)によって、激動=王朝の交代となった。だから中国の歴代王朝は大金を積んで「万里の長城」を築いたのである。中国の現共産党政権が生まれたのは、日本軍の侵攻(外因)で、中国の主要矛盾が民族的矛盾に変化し、毛沢東の反日統一戦線が成功したことで、中国の現政権が生まれた。のち毛沢東は田中角栄首相(当時)に対し、日本への戦争賠償請求権を放棄した理由の一つである。

政権が倒れるのは、主要には内部矛盾の激化であるが、歴史の激動は往々にして外因が、内因に作用して内部矛盾の激動となり、政権の交代へとつながるのである。ゆえに一国の平和を維持するうえで、戦略を見据えた外交が決定的に重要なのである。日本はウクライナ政府のような、大国の代理戦争の手駒となっては、亡国を招くので、避けなければならないのである。
#戦争と変革 #ウクライナ戦争
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コメント

外因とは外国の侵攻のことですね

 非常に勉強になります。
  たしかに歴史を認識論がらみると面白いですね。
   

No title

 内因は政治、外因は外交・進攻ですか、なるほど法則があるのですね。
 勉強になります。

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