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戦争の時代にあって平和の道は可能か?

現状の国際情勢は1930~45年の状況と極めて似ている。覇権を追求する国のナショナリズムが広がって、その自分で作り上げた世論に引きずられ、政治が迎合し、領土紛争につながる状況が世界中に生まれている。

とりわけウクライナ戦争は、戦争による国境線の変更が現実的なものとなっていることを示した。この戦争により、高騰するエネルギーと食糧価格が世界中で大衆の生きるための闘争を促している。流動化する情勢が大国の覇権争いに利用される状況が生まれている。

流動化し、激化する情勢が、軍事力行使を促し、別の紛争を生み、さらに情勢を流動化する、これらの情勢の流動化と不覚実性の高まりが、主要国の大規模な軍拡競争を生み出している。世界的なインフレと、軍拡のための増税が、世界経済をますます悪化させることになる。高まる政治不信をそらすために、隣国を敵視し、反動的民族主義を促し、強国路線を促し、軍国主義化を促すことになる。一国の経済危機が、内的矛盾の外的矛盾への転嫁を促し、戦争を必然のものとする。

世界のグローバル化は終焉し、世界は先進国と、中国・ロシア・中東などの独裁連合に分断することになった。これはアメリカのドル支配の終わりを示しており、世界経済のブロック化が避けられない。世界の市場の分断は、市場と資源の制約であり、当然にも経済危機を促す。高まる経済危機が政治的対立を促し、政治危機が戦争を促す危険な情勢が生まれているのである。

世界の軍事同盟化が進み、政治的対立が外交では解決せず、軍事的対立が避けられない情勢が生まれつつある。問題は核兵器保有国のこうした対立が、戦争を抑止できるのか?ということになる。つまり核兵器が使われなくとも通常兵器での戦争は抑止できない事態がウクライナ戦争で明らかとなった。

集団的自衛権を口実にした軍事同盟は、従属国が大国の代理戦争の使い捨てにされる時代でもある。ウクライナ戦争は、NATOとロシアの代理戦争に過ぎない。日米同盟が、日本の従属的地位を規定しており、日本が米中の覇権をめぐる戦争の使い捨てにされる危険を指摘しなければならない。

いかに平和を叫ぼうと、憲法9条を「日本の宝」と叫ぼうと、経済的対立、政治的対立を背景とした戦争は必然であり、観念的平和運動は幻想に過ぎない。大国の従属国はいかにして中立を維持するかが平和を維持する道であるが、実際の国際政治は、中立を許さないほど厳しいものである。日本の平和の道は、「対米自立」しか道がないように見える。各政党に、この点の論議を促したい。
#戦争の時代 #平和主義は可能か?
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コメント

中立は難しい!

 アメリカが守ってくれるかもわからない。
  敵を作らない外交は対立の国際情勢では難しい。
   やはり民主主義の方につくしかないのか?

No title

 戦争が避けられないのですね。何とか中立にして戦争を避けられませんか?
  アメリカに追随したらウクライナの様になりませんか?心配です。
 アメリカはウクライナに代理戦争をさせてますね。

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