間違った歴史認識が及ぼす害悪について!
韓国の学者が書いた本を読む機会があった。驚いたのは朝鮮の李王朝を「封建制度」といっていることだ。一人だけかと思ったら、そうではなく広く間違った歴史認識が韓国社会で共有されているようだ。朝鮮日報の「王室支配と封建制度」の文章を読むと李王朝を「国王中心の封建国家」と書いている。
テレビドラマの、イ・サンなどの韓流の歴史ドラマを見ても、王権とヤンバン(両班=奴隷主)の王権をめぐる争いが描かれていることでもわかるように朝鮮の李王朝は明らかに奴隷制国家である。
朝鮮では武官が政権を握ったことはない。奴隷制国家の大王が、ヤンバン(=奴隷主であり貴族階級)に支えられた社会である。思想的には奴隷制の思想である儒教が支配的思想であったことをみても奴隷制社会であることは明らかだ。
李王朝は、日本でいえば奈良時代であり、天皇が奴隷制の大王(朝鮮では王)であり、その下に貴族がいた。荘園の警備をしていた武士が、領地を奪い取るようになり(このとき「横領」という言葉が生まれた。奴隷制と武士の支配が二重権力期を経て封建領主となっていった。)朝鮮では封建領主がおらず、奴隷主階級のヤンバンの奴隷支配が続いていた。
封建的社会とは武士を頂点にした士・農・工・商の階級区分を指すのであり。朝鮮の王族・両班・中人・賤民(奴隷)の区分は奴隷制の区分であり、封建制度の階級制度ではない。韓国の知識階級の間違った歴史認識は明らかだ。
奴隷制社会の特徴は生産力が低いことだ。農機具を発明して奴隷を楽にするようなことはしない。武士の支配する封建制度では4公・6民の分配が決まっており、封建領主は開墾などの治山治水で生産高を高めようと努力する。
フリー百科辞典ウィキぺディアによれば、韓国の教科書では「先進的な韓国が未開な日本に文明を授けてあげた」という記述があり、そのような歴史観が一貫して強調されているという。これは李王朝の江戸幕府への朝鮮通信使の事を指していると思われるが、徳川家康は儒教(=奴隷制度の思想)の後進性を理解しており、それゆえ「忠義」以外の思想は採用せず、送られた李朝活字も倉庫にしまい込んで使用しなかった。
韓国の「豊かな朝鮮を日本軍が植民地にして搾取した」との歴史認識も間違いである。日本は自国を防衛する防波堤として強い朝鮮を望んでいた。ゆえに日清戦争の後でも朝鮮独立を認めた。ロシア帝国がアジア支配に乗り出した時に、日本は朝鮮を併合したが、あまりに貧しく搾取するものがなかったので、資金の持ち出しで学校を作り、ダムを作り工場を建てた。また侵攻するロシアと戦争(日露戦争)までして撃退した。
レーニンは日露戦争は、アジアの発展途上国が初めて欧州の帝国主義を破った「正義の戦争」と評価した。しかし日本が朝鮮を侵略したことは事実である。しかし日本は朝鮮で西欧がアフリカで行った植民地支配は行っていない。むしろ各種の産業基盤を形成した。それゆえ戦後韓国や台湾で資本主義が発展したのである。日本は戦後台湾や韓国に投下した産業資産をすべて現地に残したのである。この善意も韓国には通じない。
韓国の日本への恨みを背景にした「たかりゆすり外交」「告げ口外交」の間違った外交路線の背後に、誤謬の歴史認識があるということを指摘しなければならない。日本は韓国が強くなり、共産主義の防波堤となってほしかったから、戦後もたかりゆすり、と分かっていても、同国に援助を続けたのである。そして、そのような自民党政権のスタンスが、韓国のたかり・ゆすり体質を形成したことも事実である。
間違った歴史認識がいかに一国の外交をゆがんだものにするかを韓国の人たちに指摘しなければならない。物事は正反両面から見なければならない。日本の朝鮮への植民地支配は、同国の遅れた奴隷制社会の近代化を促し、教育を促し、漢口の奇跡へとつながった側面を見なければならない。(同時に民族の抑圧という負の側面もある。)
朝鮮半島の南北分断まで韓国では日本のせいだという、半島の南北分断は冷戦の産物であり、日本の併合とは関係がない。民族的恨みを煽るだけの韓国の歴史教育の過ちを指摘しなければならない。歴史の恨みをデマで拡大すれば、相手から学べなくなるし、盗まねばならなくなる。毛沢東は「反面教師」という言葉を使い、敵からも学んだ。韓国のゆがんだ歴史認識の害悪は、同国にとって極めて大きな損失といわねばならない。戦後日本は敵であったアメリカから良い点を多く学んだのである。韓国は間違った歴史認識教育を正さなければ今後の発展はない、と断言できる。
#韓国の間違った歴史認識
テレビドラマの、イ・サンなどの韓流の歴史ドラマを見ても、王権とヤンバン(両班=奴隷主)の王権をめぐる争いが描かれていることでもわかるように朝鮮の李王朝は明らかに奴隷制国家である。
朝鮮では武官が政権を握ったことはない。奴隷制国家の大王が、ヤンバン(=奴隷主であり貴族階級)に支えられた社会である。思想的には奴隷制の思想である儒教が支配的思想であったことをみても奴隷制社会であることは明らかだ。
李王朝は、日本でいえば奈良時代であり、天皇が奴隷制の大王(朝鮮では王)であり、その下に貴族がいた。荘園の警備をしていた武士が、領地を奪い取るようになり(このとき「横領」という言葉が生まれた。奴隷制と武士の支配が二重権力期を経て封建領主となっていった。)朝鮮では封建領主がおらず、奴隷主階級のヤンバンの奴隷支配が続いていた。
封建的社会とは武士を頂点にした士・農・工・商の階級区分を指すのであり。朝鮮の王族・両班・中人・賤民(奴隷)の区分は奴隷制の区分であり、封建制度の階級制度ではない。韓国の知識階級の間違った歴史認識は明らかだ。
奴隷制社会の特徴は生産力が低いことだ。農機具を発明して奴隷を楽にするようなことはしない。武士の支配する封建制度では4公・6民の分配が決まっており、封建領主は開墾などの治山治水で生産高を高めようと努力する。
フリー百科辞典ウィキぺディアによれば、韓国の教科書では「先進的な韓国が未開な日本に文明を授けてあげた」という記述があり、そのような歴史観が一貫して強調されているという。これは李王朝の江戸幕府への朝鮮通信使の事を指していると思われるが、徳川家康は儒教(=奴隷制度の思想)の後進性を理解しており、それゆえ「忠義」以外の思想は採用せず、送られた李朝活字も倉庫にしまい込んで使用しなかった。
韓国の「豊かな朝鮮を日本軍が植民地にして搾取した」との歴史認識も間違いである。日本は自国を防衛する防波堤として強い朝鮮を望んでいた。ゆえに日清戦争の後でも朝鮮独立を認めた。ロシア帝国がアジア支配に乗り出した時に、日本は朝鮮を併合したが、あまりに貧しく搾取するものがなかったので、資金の持ち出しで学校を作り、ダムを作り工場を建てた。また侵攻するロシアと戦争(日露戦争)までして撃退した。
レーニンは日露戦争は、アジアの発展途上国が初めて欧州の帝国主義を破った「正義の戦争」と評価した。しかし日本が朝鮮を侵略したことは事実である。しかし日本は朝鮮で西欧がアフリカで行った植民地支配は行っていない。むしろ各種の産業基盤を形成した。それゆえ戦後韓国や台湾で資本主義が発展したのである。日本は戦後台湾や韓国に投下した産業資産をすべて現地に残したのである。この善意も韓国には通じない。
韓国の日本への恨みを背景にした「たかりゆすり外交」「告げ口外交」の間違った外交路線の背後に、誤謬の歴史認識があるということを指摘しなければならない。日本は韓国が強くなり、共産主義の防波堤となってほしかったから、戦後もたかりゆすり、と分かっていても、同国に援助を続けたのである。そして、そのような自民党政権のスタンスが、韓国のたかり・ゆすり体質を形成したことも事実である。
間違った歴史認識がいかに一国の外交をゆがんだものにするかを韓国の人たちに指摘しなければならない。物事は正反両面から見なければならない。日本の朝鮮への植民地支配は、同国の遅れた奴隷制社会の近代化を促し、教育を促し、漢口の奇跡へとつながった側面を見なければならない。(同時に民族の抑圧という負の側面もある。)
朝鮮半島の南北分断まで韓国では日本のせいだという、半島の南北分断は冷戦の産物であり、日本の併合とは関係がない。民族的恨みを煽るだけの韓国の歴史教育の過ちを指摘しなければならない。歴史の恨みをデマで拡大すれば、相手から学べなくなるし、盗まねばならなくなる。毛沢東は「反面教師」という言葉を使い、敵からも学んだ。韓国のゆがんだ歴史認識の害悪は、同国にとって極めて大きな損失といわねばならない。戦後日本は敵であったアメリカから良い点を多く学んだのである。韓国は間違った歴史認識教育を正さなければ今後の発展はない、と断言できる。
#韓国の間違った歴史認識
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韓流歴史ドラマを見たら~
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封建制度は朝鮮半島にはなかったのはよくわかります。
嘘の歴史を捏造するのはダメです。国を誤らせると思います。