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日本の報道は戦争の悲劇ばかりでいいのか?

毎年夏になると広島や長崎、そして空爆の悲劇が嫌というほど放映され、新聞で報じられる。現在の北朝鮮情勢や、中国拡張主義の危険が迫るのに、戦争に備えよ、という報道は一つもない。

日本の自衛隊は少ないミサイルや弾薬、爆弾を積めないF15で守らねばならない。日本は攻撃兵器を持たない状態で戦争に入る可能性がある。「攻撃は最大の防御」であるのに巡航ミサイルさえ保持していないのである。これでは犠牲が増えるばかりとなりかねない。

戦争は国民が平和を望んでも起きる時は起きる。平和主義だけでは信仰の力で平和を守れると信じるに等しい。相手が国内統治から反日を大宣伝しているのだから、中国社会帝国主義が日本侵攻を計画しているのは事実であるのに、平和主義の宣伝だけでよいのか?

侵略勢力を撃破できるだけの防衛力を保持したうえでの平和主義でなければいけない、と私は考える。核兵器は持たない国には使えるのだから、核の使用に反対するには核を持たないといけない。相手が持てば、核兵器は使えない兵器となるのだ。だから「反核」だけ言う人を私は信用しない。それは政治的詐欺師に他ならないと考えるからだ。

国防は侵略者を撃破できるものを持たないと悲劇が生まれる。だから口先だけで反戦・平和を観念的に語る人は、真に戦争を阻止できないのである。平和を守るのは観念的平和主義ではなく、自衛隊の武装力だということを指摘しなければならない。アメリカが「アメリカ第一主義」のトランプ大統領だからこそ、日本は自分の力で自国の平和を守らねばならないのに、新聞やテレビは観念的平和主義で日本国民の国防への思想的準備を武装解除しているように見えるのは私だけであろうか?

観念的平和主義の洪水の中で、防衛力の強化こそ大事だと私は声を大にして言いたい。
北朝鮮や中国の侵略の脅威を決して軽視してはならず。防衛力を他国に依存できないし、日本は対米自立して、防衛の備えを強化して初めて平和が守られるのだと言わねばならない。観念的平和主義では平和を守れないのだ。
         新世紀ユニオン執行委員長 角野 守(かどのまもる)
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