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観念的平和主義の弊害を自覚すべきだ!

毎年この季節に新聞もテレビも観念的平和主義の洪水になる。あたかも平和を観念的に唱えれば平和が訪れるとでも思っているかのようである。「憲法9条は日本の宝」と主張して戦後日本の70年間の平和が憲法がもたらしたかの嘘を広げる人達もいる。

北朝鮮王朝の崩壊の危機、中国経済のバブル崩壊、韓国経済の破綻、日本の戦争法強行採決、など東北アジアの経済・政治的流動化を見ても、また世界では中東の宗派対立・内戦の激化。ロシアの地政学的目覚め、欧州の経済危機、覇権国アメリカの相対的衰退、中国社会帝国主義の軍事的拡張主義の台頭で、世界は新旧の帝国主義の対立・衝突、軍事力による国境線の変更の時代に突入している。

このような激動の時代になっても、なお観念的平和主義を振りまくことは日本を亡国の道に導くことである。戦争はいくら平和を祈念しても起きるときには起きるのである。階級があり、資本主義の資源と市場を巡る対立がある以上、経済的対立は政治対立となり、戦争は政治の延長であるので、戦争は歴史の必然と言えるのである。また戦争には歴史打開力がある。

人類の歴史は戦争の歴史である。日露戦争がロシア革命をもたらし、日本の中国侵攻が「抗日」戦争で中国革命をもたらした。一つの戦争には2つの側面がある。侵略される側には正義の戦争であり、侵略する側にとっては不正義の戦争である。こうした戦争の持つ必然性と2面性、歴史打開力を語らず、観念的に戦争を批判することは、情勢の流動化の下では日本を亡国に導くことになる危険を指摘しなければならない。

特に中国社会帝国主義は凶暴性を持つ新興の帝国主義であり、アメリカの「息継ぎの和平」の隙をついて地域覇権主義でアメリカと世界を分有する野心を隠そうともしていない。この中国には日本語の「平和」と言う言葉はない、軍事力で平らげる意味を持つ「和平」ということばがあるのみだ。中国の危険性は、社会主義を隠れ蓑にしているという点だけでなく、古来からの「中華思想」という覇権思想で裏付けられていることにある。いまや中国社会帝国主義は新興のファシスト勢力として全世界人民の主要な敵として登場していることを指摘しなければならない。

中国官僚支配を代表する走資派指導部は本気で対日開戦を決意しており、中国人民の矛先が自分たちに向く前に、内的矛盾を外的矛盾に転化することを決意していることに警鐘を鳴らさねばならない。こうした日本民族の戦争の危機が迫っている時に、ただ観念的平和主義を振りまくマスコミや政治勢力を日本人は絶対に信用すべきではない。
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